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シングルマザーで生きていく力を養った留学時代【1】

こんばんは!朝までの納期の仕事をひと段落しました。

私は翻訳者です。

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この仕事につけたのも高校生の時に、アメリカへ留学することを決めた自分がいたから。そしてそれを支えてくれる家族がいたから。

私は高校生の時、摂食障害心因性失声症を抱えていました。

その頃は自分の身に起こっていることがまったくわからず、女子高でしたが、周りのクラスメイトの目が気になって不登校にもなりました。

朗読の時に指名されて立ち上がると声がでなくなるのです。

とても恥ずかしかったです。

そしてこれらは私の人生を大きく変える出来事でもありました。

どうして声がでないんだろう。私の心に何が起こっているのだろう。

ある日、校門の前で降りるはずのバスが校門を通り過ぎるのを横目で見ながら降りずに図書館まで乗り続けました。図書館の心理学に関する本を読み漁りました。それでも原因はわかりませんでした。ただ分かったことは心理学において日本は遅れているということ。アメリカが進んでいるということ。この日から日中、図書館で過ごすようになります。

アメリカで心理学を学びたい!

心からそう願いました。そして単身渡米することを決心したのです。

高校2年生の時でした。

それから2年間、両親を説得する日々を過ごしました。そりゃあ今は親なのでわかりますが、私の両親が反対する気持ちもわかります。

でも私の決心は石のように固いものでした。

最終的に母親が味方になってくれて留学の手続きなどを手伝ってくれました。私は全力で留学のためにTOEFLを550点以上獲得し、渡米しました。

ぜんぜん怖くありませんでした。自由になれると思っていました。

アメリカに到着し、私を受け入れてくれたホストファミリーはブラックのシングルマザーの家庭でした。児童教育学の教授をしているホストマムは「私には女性という偏見とブラックであるという偏見、ダブルの偏見があるの」と教えてくれました。

まだ1990年代後半のアメリカの田舎の町には日本人は少なく、ジロジロ見られたり、子供に「ねぇねぇこの子の髪黒いのにどうしてカールしてないの?」と引っ張られたり、

「ねぇねぇあそこにいるの日本人かしら。私日本人見るの初めて。」なんてコソコソ話が聞こえたりいろいろありました。

でも私はとっても居心地がよかったです。珍しがられることもいやじゃなかったし、アメリカが本当に性に合っていました。拒食症も落ち着き、なぜか失声症もおさまっていました。やはり日本にいた時のストレスが原因だったのかもしれません。

大学に入り、英語漬けの生活が始まります。最初のクラスでAを取り、勉強が楽しくて仕方なくなりました。グループ活動やプレゼンテーション、様々な活動に積極的に参加しました。友達もでき、クラスで席を取ってくれるようにもなりました。成績が良いとグループに入れてもらえやすくなるのもメリットです。グループ自体の評価が良くなるとアメリカ人は考えるからです。

ホストファミリーも3家族渡り歩き、様々なアメリカの家庭の中で暮らしました。すべて良い経験になりました。ゼロから人間関係を構築したのです。18歳の女の子にしては本当によく頑張ったと思います。

 

結果的に飛び級し、3年間で四年制大学を卒業することができました。この時の情熱が私の今の暮らしの原動力になっていると思います。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。




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